清永 謙著「清貧登山のススメ」山と渓谷社
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作成日時 : 2015/09/10 20:57
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僕が山を登り始めた50歳頃に読んだのが清永謙著「清貧登山のススメ」だ。少し読み返しても、今の僕の登山スタイルを代弁してくれている。一言で言えばアンチ百名山。登山ブロガーの大多数がご同輩と思うが、登山ガイドブック出版社と思われる山の渓谷社から出版されたためか、今は絶版の憂き目。ただ「日帰り山行は食料を持ちすぎるな」から最近の僕のスタイルははずれつつあるが。そのなかで「山以外にまで目を向ければアプローチも楽しい(168頁)」は特に印象に残っている。街中から登山口までの車道や林道を車で通り過ぎたり、のんびり歩いたりする。その平坦な道のりのほうが僕の記憶に残っているようだ。登山口に入れば、何所もかしこも林や尾根や木道だったりするから、区別がつかないのも無理はない。それに引き換え、人の気配のする里の畑や朽ちそうな家屋は脳裏に焼き付くものだ。その上、地元の人と立ち話なんかできようものなら、登山のことなど吹っ飛びそうだ。そんな期待を持って、兜山のある綱木の宿場跡を再訪してみたい。その峠には人よりも古くから住んでいる猿たちにも会えるだろう。
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今日のつぶやき
平成30年4月14日
読書会 シュティフター「水晶」
「石さまざま」の序においてシュティフターが述べる思想と、実際に書かれた「石さまざま」の短編にはズレがあることは良く言われることだ。簡潔に言えば、序ではデモーニッシュなことの価値を低くみているが、短編のなかで私たちを感動させるのはまさしく「白い闇」と表現された氷山である。そのズレを指摘する論述は多いが、書かれた内容から文学の形式に目を向ければ、そこにはズレは無いように思える。
序では毎日一定の時刻に地表の全面で磁石の針が北をさす精度の観察から小さな変化を見いだし、磁気嵐という自然の法則の発見につながったと指摘している。その繰り返された観察から小さな変化を見いだす、言わば「反復は差異を生み出す」と言う方法論は文学の方法に発展するだろう。
「水晶」では「そうよ、コンラート」が「反復は差異を生み出す」と言う方法論にあたるのだろう。同じ言葉を繰り返すことで、わずかな変化が見いだされる。祖母の家からの帰りに雪が白い焔に見えた時に最初の「そうよ、コンラート」がザンナから発せられた。氷山で一夜を明かし、救援の村人を見つけた時が最後の「そうよ、コンラート」だった。その言葉に託すザンナの心は読者が推測するしかないが、その反復される言葉によって作者が表現したかったのは、二人を包む家族と村の人の心の変化だと思う。
思想を表現することに文学の意義があるとは思わないが、その表現された作品には作者が思いもつかなかった思想が後世のために隠れていることは普遍的である。
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