笹雁新道の紅葉(平成29年10月8日)
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作成日時 : 2017/10/08 16:26
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笹雁新道から笹谷遊歩道に下る周回コースは車道を30分くらい歩かないといけないが、僕の好きなコースである。紅葉の綺麗なこの季節、その車道をトレランしたり、歩いているパーテイにもであった。トレランの二人は象ヶ沢噴水のずっと手前で追い越されたが、帰りは僕より遅かった。多分、南雁戸まで行かれたのだろう。往路は雨上がりで滑りやすく、刈り払いされていたため、かえって捕まるものがなく、靴が滑った。両側が切れ落ちた尾根で足が滑りそうになった時は下半身に異常に力が入ってしまった。笹雁新道の低木帯の登りの紅葉も素晴らしかったが、北雁戸山頂から望む御所山は青嶺の向こうのスカイラインが真紅に縁取られた見えた。
写真集はこちらからどうぞ
https://www.flickr.com/photos/hitoiki/albums/72157689215798686/with/23712584138/
山行時間:7時間28分
往路:3時間21分
帰路:3時間15分
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今日のつぶやき
平成30年4月14日
読書会 シュティフター「水晶」
「石さまざま」の序においてシュティフターが述べる思想と、実際に書かれた「石さまざま」の短編にはズレがあることは良く言われることだ。簡潔に言えば、序ではデモーニッシュなことの価値を低くみているが、短編のなかで私たちを感動させるのはまさしく「白い闇」と表現された氷山である。そのズレを指摘する論述は多いが、書かれた内容から文学の形式に目を向ければ、そこにはズレは無いように思える。
序では毎日一定の時刻に地表の全面で磁石の針が北をさす精度の観察から小さな変化を見いだし、磁気嵐という自然の法則の発見につながったと指摘している。その繰り返された観察から小さな変化を見いだす、言わば「反復は差異を生み出す」と言う方法論は文学の方法に発展するだろう。
「水晶」では「そうよ、コンラート」が「反復は差異を生み出す」と言う方法論にあたるのだろう。同じ言葉を繰り返すことで、わずかな変化が見いだされる。祖母の家からの帰りに雪が白い焔に見えた時に最初の「そうよ、コンラート」がザンナから発せられた。氷山で一夜を明かし、救援の村人を見つけた時が最後の「そうよ、コンラート」だった。その言葉に託すザンナの心は読者が推測するしかないが、その反復される言葉によって作者が表現したかったのは、二人を包む家族と村の人の心の変化だと思う。
思想を表現することに文学の意義があるとは思わないが、その表現された作品には作者が思いもつかなかった思想が後世のために隠れていることは普遍的である。
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