岩盤(平成26年5月18日)
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作成日時 : 2014/06/02 21:57
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目の前に岩盤がそびえ、やっと手が届くところに木の根がある。木の根をつかんで何とか足場を探してその上の枝をつかもうとしたら枯れていてぼろっと抜け落ちた。まだ重心を移動していなかったからバランスを崩さずにすんだ。ひと息して良さそうな枝を探して両手で上体を引き上げた。岩盤の上に出たら右手にロープが見えた。ホットした。もしロープがなくてさらに大きな岩盤が出てきたら撤退するしかなかった。この崖を下るのは登るよりも数倍危険だろう。ロープは太く切れそうにないが緑色に苔むしていて、倒木の下になって土の下に眠っているようだった。何年ぶりかで人の手に触れたかもしれない。そんなロープも道案内にはなる。途中で休んでいるとそのロープも消えてしまった。またしても藪漕ぎしながら稜線を目指す。やっと鞍部が見えてきたので左に巻いて深い落ち葉の山腹を歩くと夏道に出た。
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今日のつぶやき
平成30年4月14日
読書会 シュティフター「水晶」
「石さまざま」の序においてシュティフターが述べる思想と、実際に書かれた「石さまざま」の短編にはズレがあることは良く言われることだ。簡潔に言えば、序ではデモーニッシュなことの価値を低くみているが、短編のなかで私たちを感動させるのはまさしく「白い闇」と表現された氷山である。そのズレを指摘する論述は多いが、書かれた内容から文学の形式に目を向ければ、そこにはズレは無いように思える。
序では毎日一定の時刻に地表の全面で磁石の針が北をさす精度の観察から小さな変化を見いだし、磁気嵐という自然の法則の発見につながったと指摘している。その繰り返された観察から小さな変化を見いだす、言わば「反復は差異を生み出す」と言う方法論は文学の方法に発展するだろう。
「水晶」では「そうよ、コンラート」が「反復は差異を生み出す」と言う方法論にあたるのだろう。同じ言葉を繰り返すことで、わずかな変化が見いだされる。祖母の家からの帰りに雪が白い焔に見えた時に最初の「そうよ、コンラート」がザンナから発せられた。氷山で一夜を明かし、救援の村人を見つけた時が最後の「そうよ、コンラート」だった。その言葉に託すザンナの心は読者が推測するしかないが、その反復される言葉によって作者が表現したかったのは、二人を包む家族と村の人の心の変化だと思う。
思想を表現することに文学の意義があるとは思わないが、その表現された作品には作者が思いもつかなかった思想が後世のために隠れていることは普遍的である。
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