名号峰の夏(令和元年8月18日)〈名号峰山頂〉

 山ごはんをすませて、残った水で紅茶を沸かした。少し飲んだら、さらに暑くなった。帰り仕度を始めていると、人の声が聞こえた。なにやらお互いに話しかけているのか、まるで狂言の語りのようにも聞こえる。ほどなくして山頂に3人がお目見えした。どこからかと尋ね合って、先方のリーダーをおぼしき方からどこかでお会いしませんでしたか、と聞かれて、二ッ森山…
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名号峰の夏(令和元年8月18日)〈山ごはん〉

 山頂で荷物を広げて、山ごはんの準備をする。ここは、遮るものがなくて展望はいいのだか、真夏の太陽は厳し過ぎる。今日の昼食に、ニンニク1かけら、小さめのトマト2個、はや茹でパスタ(3分用)を取り出す。まずメスティンにオリーブオイルを多めにひいて、ニンニクを輪切りにしたのを入れて火をつけた。みるみるうちにニンニクはいい色になってきて、そこに…
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チングルマと月山大雪城(令和元年8月11ー12日)〈姥ヶ岳〉

 姥ヶ岳を下るとすぐにベンチがある。もう10分ごとくらいには休んで山旅の名残りを惜しむ。キンコウカの黄色に彩られた池塘のある草原を仰いでいると、家族連れの下山者の声が聞こえた。まだ若そうな女性がばあちゃんと呼ばれている。その呼ぶ声はまだ小学前のようだ。おばあちゃんは何歳から山登り始めたのと聞かれ、そして答える声はとても満足気で少し自慢気…
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速報 名号峰の夏(令和元年8月18日)

 残暑厳しい朝、刈田駐車場には数台しかない。もう夏は過ぎたか、と一瞬思った。リフトは動き出したが、蔵王火山活動の避難道を登る。それ程、暑くはないが、息が切れる。夏バテだ。お釜の縁を歩いて熊野岳山頂へ。ここにはかなりの人がいた。最上川を遠く望み、名号峰を目指す。駒草がまだ咲き残っていた。自然園まで下ると日差しがきつくなった。登山道脇のお墓…
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チングルマと月山大雪城(令和元年8月11ー12日)〈清川行人小屋〉

 小屋には歩き出して休憩を入れて約6時間で着いた。コースタイムは5時間なので、私にしては早かった。小屋に入ると下駄箱の上に濡れた登山靴があった。お邪魔しますと大きな声で呼ぶと、私は管理人ではないですよと、玄関まで出迎えてくれた。彼は濁沢を岩根沢から渡渉して念仏が原に一泊して、今日は清川を遡ってこの小屋まで来られた沢屋さんだった。ホンモノ…
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チングルマと月山大雪城(令和元年8月11ー12日)〈大雪城〉

 ガスに隠れる大雪城を見下ろせる坂の上で昼食にした。少し下った大岩の上ではポーズを決める姿も見えた。東側の雪渓を渡たると西側の雪渓では夏スキーの練習をしていた。岩場を下ると、洞穴のような隙間に休んでいる人影。その脇を下るとその仲間の方から声がかかった。夜空をこれから楽しむそうだ。星座や天の河は綺麗だけれど、地上の熊には要注意だそうだ。チ…
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チングルマと月山大雪城(令和元年8月11ー12日)〈牛首下〉

 清川行人小屋に泊まるべく姥沢から月山山頂を目指す。岩根沢登山口までの林道は崩落して郡境駐車スペースまでしか行けず、そこまでも狭い林道の割には山菜採りなどの車の往来が多い。それならと山頂経由で小屋泊することにした。長くても30分ごとにザックを下ろして休むことにした。牛首下のベンチで和菓子で休んでいると山頂まであとどのくらいかと少し年上の…
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チングルマと月山大雪城(令和元年8月11ー12日)〈水場と危険箇所〉

 姥沢からリフトを使わずに姥沢小屋跡の脇を通って山毛欅林の木道を歩き出すとすぐに石段となって、15分くらいで水場になる。そこから5分くらいでまた水場がある。そこでたっぷり500mlくらい湧き水を飲んだ。そこからは水場は清川行人小屋まではない。しかし、牛首下には何箇所か雪渓の雪解け水が流れる沢がある。山頂を過ぎて大雪城を過ぎると、また雪解…
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チングルマと月山大雪城(令和元年8月11ー12日)〈装備〉

持って来て良かったと思ったもの:ダウンジャケット(小屋の中でティーシャツの上に羽織った)、文庫本(小屋の中でこのおかげで間が持てた)、ポケットティッシュ(取り出し易く便利) 足りなかったもの:電池(GPSとライト用に持って来たがGPSが途中で電池切れになった) なくても良かったと思ったもの:簡易アイゼン(何度も歩いたコースで大雪城は…
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チングルマと月山大雪城(令和元年8月11ー12日)〈山ごはん〉

 1日目 昼はガーリックパン。夕は卵とニンニク入りの棒ラーメン。おかずはサラミ。2日目は朝は梅しそリゾッタ(モンベル)と卵とニンニク入りのしじみ100個分のオルニチン入りお味噌汁(M’s one)とコーヒー2杯。昼は明太子パスタと紅茶2杯。行動食は塩トマト甘納豆とナッツとサラミ。2日間とも水分はポカリスエット粉末入りのハイドレーション。…
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速報 チングルマと月山大雪城(令和元年8月11ー12日)

姥沢駐車場から月山経由で岩根沢の清川行人小屋に一泊して、翌日は月山から姥ヶ岳山頂を経由して姥沢駐車場にリフトで下った。下界の猛暑を他所に、そよ風の中、快適の山旅となった。先月の以東岳に比べて二日目もバテることもなかった。ザックの重さは14kgと前回と同じくらいだったが、歩き方や食事に気をつけたからだろうか。次回につながる満足の山行になっ…
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プルーストを読んで -内在的な隠れた快楽-

「ひそかに待ち望まれている快楽、内在的な隠れた快楽は、やっとそれが成しとげられようとする瞬間に、単に傍らの女性の優しい目つきや口づけがもたらす他の快楽を頂点まで高めるだけなので、とくに私たちにとってはそれが、女の親切さとか、胸を打つ好意とか、彼女がふんだんにふりまく恩恵や幸せによって測られるそういったものへの、いわば感謝のようにおもわれ…
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プルーストを読んで -サンザシに約束-

「そして涙をぬぐいながら、私はサンザシに約束した、大きくなっても、ほかの大人たちのばかげた暮らしぶりなどけっして真似しない、パリにいても、春になったら、知人を訪ねてくだらない話に耳をかたむけるのではなく、最初に花開いたサンザシを見に田園に出かけてゆくだろう、と。」第1巻311頁  コンブレーからパリに帰ることになり私はサンザシに別…
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プルーストを読んで -永久に引きこもってしまう-

「永久に引きこもってしまうことも、本来ならこれをもっと痛々しいものにしたはずだと思われるその同じ理由によって、叔母にはかなり楽なものだったにちがいない。というのは叔母は日ごとに自分の力が衰えてゆくのを確認したためにやむなく引きこもることになったからで、その力の減少は、一つひとつの行動や動作を苦痛とはしないまでも、少なくともそこから疲労を…
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プルーストを読んで -想像力-

「ルグランタンは、けちなスノブたちには分からない才気と美徳の魅力に自分が屈しているのだと思いこんで、その公爵夫人に近づいていった。ただ他人だけが、彼もまたスノブの一人であることを知っていたのだ。なぜなら他人は、彼の想像力の持つ媒介的な働きを理解できない立場にあったために、ルグランタンの社交的活動とその第一原因とを正面から対置して見つめて…
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プルーストを読んで -未知の生活-

「つまりそれは、いつでもスワン嬢を好きになる用意ができていたということだ。ある人への愛情のためにはいりこむことになる未知の生活に、その相手も参加してくれると信じることは、愛が生まれるために要求されるあらゆるもののなかで、愛が最も必要とするものであり、それ以外のことなどどうでも良くなってしまう。」 第1巻219頁  私は好きな作家である…
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プルーストを読んで -日曜日の午後たち-

「コンブレーの庭のマロニエの木蔭で過ごした日曜日の晴れた午後たちよ、私は自分の個人的生活のなかにある平凡な出来事をお前たちから念入りに除き去り、これにかえて、清流に潤された地方で起こる奇妙な冒険と異様な憧れの生活でお前たちを満たしたが、今でも私がお前たちのことを思い浮かべるたびに、お前たちはそうした生活を呼び起こしてくれるし、また、事実…
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プルーストを読んで -魂の投げかけた光-

「魂の投げかけた光のために、貴重になった物があり、人はそうした光の反映を、その物のなかにふたたび発見しようと試みる。だが物は、思考のなかでこそある種の観念と隣りあっていたために魅力を備えていたが、自然のなかではそのような魅力を奪われているように見えるので、それに気づいた人はがっかりしてしまう。」第1巻192頁  本の中で書かれている地…
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プルーストを読んで -優しさのない顔-

「文字どおり聖人と言うべき活動的な慈愛の化身に出会う機会があったとき、そのような人たちはたいていの場合いそがしい外科医のように、陽気で、積極的で、荒っぽい様子をしており、人間の苦しみを目のあたりしてもなんのあわれみや同情も浮かべず、その苦しみにぶつかることを少しも怖れない顔をしていたが、これこそ真の善意というものが備えている優しさのない…
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プルーストを読んで -病的な状態-

「しかしこのような病的な状態のなかにあって、実を言うと彼が死と同じくらいに恐れていたのは、現在の彼のすべてが死んでしまうそのような全快であった。」第2巻249頁  恋に落ちてしまうと嫉妬に狂い、なにもかもが不安になってしまう。それが相手と気持ちが通じあってしまうと、不安は愛情や感謝になる。しかし、この時、興味のないものに相手はな…
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プルーストを読んで ー内心の悲しみの持つ魅力ー

「このような内心の悲しみの持つ魅力、これこそ小楽節が模倣し、再創造しようとしたものだった。」第2巻350頁  オデットの態度が冷たいものになり悲しみに沈むスワンはヴァントゥイユの小楽節に再会し悲しみから立ち直る。  諦めの優美さを見出してくれる音楽は彼女と出会った頃に苦悩の潜んでいることを教えた同じ曲だった。悲しみに囚われた自分…
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プルーストを読んで ーまことらしからぬ死ー

「このような囚われ人を道づれにするにすると思うと、死もなにかそれほど苦しいものではない、それほど不名誉でない、それはおそらくは、あまり起こりそうにもないものに見えるのだ」 第2巻 353頁  光、音、起伏、肉体的官能という内的なものは囚われ人のように私の道づれとなる。そんな形のないもの、虚無こそが真実ならば死ぬこともありえなく思え…
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プルーストを読んで-内的な固定した美-

 「そしてスワンは、小楽節が彼らのすぐそばを通っていったとき、実はそこに無限の距離があったこと、自分たち二人に話しかけているのに実は二人を知りもしないことを考えて、つらい気持ちになりながら、この楽節が一つの意味を持ち、自分たちとは無縁の内的な固定した美を以ているのを、ほとんど残念にさえ感じるのだった。」第2巻82頁  スワンはヴァント…
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プルーストを読んで-無為な生活-

「聡明な人たちのなかにも、ずっと無為な生活を送ってきながら、こうした生活が自分の知性に対して芸術や学問と同じくらいに興味をそそる対象を提供していると考え、また「人生」はどんな小説よりも面白く、どんな小説よりも小説的な状態を含んでいると考え、そこに心の慰めを求め、おそらくは言訳を求めている人たちがいるものだが、スワンもそのカテゴリーに属し…
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プルーストを読んで-母の魂に最初の皺をつける-

「私にとっては、子供の自分がそれまで知らなかったこのやさしさを示されるよりも、むしろ怒られる方が悲しみがすくなかっただろう。私はまるで、親不孝な秘密の手でもって母の魂に最初の皺をつけたような、そこに最初の一本の白髪を生やせたような気がした。」第1巻97頁  自宅での夜会のために母からお休みのキスをしてもらえず、会が終わるまで廊下で…
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プルーストを読んで-苦悩を避けるには-

「明日になればふたたび苦悩が始まり、しかもママンはここにいてはくれないだろう。・・・まだ考える時間があるさ、と。しかしながらこの時間も、これまで以上に苦しみに堪える力など何ひとつもたらすことはできないのだ。なぜなら苦悩は私の意志の力の及ばぬものであり、その苦悩を容易に避けられるもののように見せるのは、まだ次の苦悩と私とを引き離しているこ…
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プルーストを読んで-プチット・マドレーヌ-

「私は何気なく、お茶に浸してやわらかくなったひと切れのマドレーヌごと、ひと匙の紅茶をすくって口に持っていった。ところが、お菓子のかけらの混じったそのひと口のお茶が口の裏にふれたとたんに、私は自分の内部で異常なことが進行しつつあるのに気づいて、びっくりした。素晴らしい快感、孤立した、原因不明の快感が、私のうちにはいりこんでいたのだ。」 第…
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プリーモ・レーヴィ『休戦』(誰でもいい人間)

岩波文庫「休戦」102頁 「私がアウシュヴィッツで学んだことの中で最も重要だったのは、「誰でもいい人間」になるのを常に避けることだった。」 プリーモ・レーヴィはアウシュヴィッツの数少ない生存者だ。収容所体験は念珠集でもとりあげたが、生き残るためには、何かの役目を果たすこと、また、「いつも戦争だ」として、初めに靴、次に食料が大事だとい…
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新田次郎『槍ヶ岳開山』(死に方に持ったいつける)

文春文庫「槍ヶ岳開山」338頁 「鎖を懸下するという大きな仕事が完了した満足感はなかった。彼の心はむしろ空虚であり、おはまとの再会を拒否されたことで痛んでいた。」 「槍ヶ岳開山をして死んだのだから、思い残すことはないなどと、死に方に持ったいつけてはいなかった。 (232頁)」。素晴らしい仕事をしたから思い残すことはないと御目出度いこ…
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オニール『奇妙な幕間狂言』(実際に生きている世界)

岩波文庫「奇妙な幕間狂言」266頁 「実際に生きている世界は只過去と未来にある丈だ・・・・現実は幕間狂言に過ぎない・・・・あたし達が生きているつて事を証明させる為に私達が過去と未来に呼び掛ける奇妙な幕間狂言だ。」 私達が生きる現実の世界と実際に生きている世界。その二つの世界があるということか? 過去と未来は現実とは異なるあたしには関…
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A.ジュリアーニ編 タッソ『エルサレム解放』(眠りへと誘いこむ)

岩波文庫「エルサレム解放」370頁 「過ぎし日の苦悩のあれこれは忘れるがよいのです、そしてあれこれと禍を予測しながらおのれの不幸を早めてもなりません。/気にすることはないのです、天空が雷鳴を轟かせ雷光を放とうとも、どうぞ好きなだけ脅したり火花を投げたりさせておきましょう。///そんなふうにその不敬な女は歌います、そして若者を眠りへと誘…
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イニャツィオ・シローネ『葡萄酒とパン』(ぼくたちの隣人との関係)

白水社「葡萄酒とパン」368頁 「「いつの時代であれ、どんな社会であれ、一番尊い魂の行ないは、自分を与えること、おのれを見出すために捨てることですわ。私たちは、与えるものしか、持っていないのです。」....たしかに、、人間は、与えられるものしか持っていない。しかし、それを、だれにどのように与えたらよいだろうか?ぼくたちの愛情、犠牲を厭…
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織田作之助「六白金星・可能性の文学」(端の歩突き)

岩波文庫「六白金星・可能性の文学」 337頁 「が、六十八歳の坂田(坂田三吉)が実験した端の歩突きは、善悪はべつとして、将棋の可能性の追求としては、最も飛躍していた。ところが、顧みて日本の文壇を考えると、今なお無気力なオルソドックスが最高権威を持っていて、老大家は旧式の定跡から一歩も出ず、新人もまたこそこそとこの定跡に追従しているので…
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伊藤左千夫「春の潮」(世間へ顔出ししない)

岩波文庫 野菊の墓 148頁 「おれは言いだしたら引くのがいやだから、なるべく人の事に口出しせまいと思ってると言いつつ、あまり世間へ顔出しもせず、家の事でも、そういうつもりか若夫婦のやる事に口出しもせぬ。そういう人であったから、自分の言ったことが、聞かれないと執念深く立腹する。」 最近の日本人の傾向は他人と距離をおいて自分の世界を大…
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ゴーゴリ「死せる魂」(吝嗇と年貢の山)

河出書房新社 世界文学全集 Ⅰ-10 129頁 「彼はもう家に、なにがどのくらいあるかということなどは忘れてしまって、ただおぼえているのは、だれにもこっそり飲まれないようにちゃんと印をつけてある果実酒の残りのはいった壜が戸棚のどの辺にあるかとか、封蝋や羽根の破片がどこに置いてあるかなどということだけだった。」 妻に死なれ、次々と…
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アラン・ド・ボトン「プルーストによる人生改善法」(誠実が目を開かせる)

白水社 プルーストによる人生改善法 197頁 「少なくとも、アルベルチーヌの純真さには、誠実さへの希望が残されている。誠意こそ、カンブルメール夫人が大げさに言い立てる芸術への敬意に欠けているものだ。」 マドレーヌによって過去を思い出すのは無意識的記憶だが、意識的記憶とどこがことなるのだろうか。この問いは「いい画家がキャンパスに描き、…
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プルースト『読書の日々』(読書をした場所とその日々のイメージ)

筑摩書房 プルースト文芸評論 159、174頁 「たとえば夕食ーその夕食のために家に帰らねばならなかったが、食事のあいだじゅう、われわれは終わりしだいすぐ二階に行って中断した章を読み終えようとばかり考えている。そういったすべてのことをわれわれは読書のおかげでただ煩わしいとばかり感じたはずなのに、逆に読書はわれわれのうちに、そのようなも…
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エリック・ホッファー『魂の錬金術』(思いやり)

作品社「魂の錬金術」67頁 思いやりは、おそらく魂の唯一の抗毒素であろう。思いやりがあれば、最も有害な衝動でさえ相対的に無害なままである。高邁な理想に身を捧げた無慈悲な人よりも、玩具に夢中になってはいるが、同情心をもちうる人に世界を任せたほうがよい。人間の魂の化学にあっては、たいていの高貴な属性(勇気、名誉、希望、信念、義務、忠誠など…
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ルドルフォ・アヤナ『ウルティマ、ぼくに大地の教えを』(思いやるということ)

草思社「ウルティマ・ぼくに大地の教えを」270頁 「いっしょにテイェスの牧場にいったとき、父さんは怖かった。それは起こっていることが理解できなかったからだ。だがグランデは怖がらなかった。それは何が起こっているかわかっていたからだ.....人間は成長するうちに、生や死にであって、喜んだり悲しんだりする。仕事をして、遊んで、人に出会ってー…
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プーシキン『大尉の娘』(大勢の人々が群がる)

筑摩書房 世界文学全集 20 223頁 「わたしをのぞく、ほかのすべての人々にとって、恐ろしい人間であり、冷血漢であり、悪党であるこの人間とわかれるにのぞんで、わたしのいだいた気持ちをここにのべることはできない。だが真実を語らずにいられようか?その瞬間、はげしい同情の念がわたしを彼にひきつけたのだ。わたしは、彼のひきいている悪党仲間か…
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藤村随筆集(深く入って、浅く出て行く)

岩波文庫 藤村随筆集 122頁 「年若い自分には、私は何事につけても深く深くと入っていく事を心掛け、また、それを歓びとした。だんだんこの世の旅をして、いろいろな人にも交わって見るうちに、浅く浅くと出て行くことの歓びを知って来た。」 深く入る意は探求の心で解しやすいが、浅く出て行くとは如何。絶対的真実の否定とも解せられるが、素のままに…
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野鳥が呼び合う(令和元年7月21日)

 ドッコ沼はいつものように霧に隠れていて、すぐ向こうのホテルも遥かに見えた。三五郎小屋からはこれもいつものジャズが聴こえた。人の気配もここまでは届かない。また、山道に入って五郎岳に登ると、軽装の下山者にお会いした。大変な道ですねに何と答えたらいいか、迷っていると声が出なかった。ここまで、しっかり刈り払いがされていて、アザミの花までが犠牲…
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蔵王の森の小鳥たちーキビタキ?の囀りー(令和元年7月21日)

 蔵王温泉の竜山ゲレンデを少し登って、堰の工事現場の脇を過ぎると登山道となった。体調と相談しながら、ゆっくり登るがすぐに息が切れた。少し休んで何とか稜線に出た。それまでの風のない蒸しかえるような沢沿いの道とうって変わって、すがすがしい。滑りやすい坂を降って雑木林に出た。もうすぐドッコ沼だ。足を止めて水を飲んでいると小鳥が鳴くのが聴こえて…
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唐木順三『無常』(ふるまいをやさしく、幽玄に心をとめ)

筑摩叢書 39 260頁 「「ふるまひをやさしく」とはおのが我執、私意に滞らないこと、 幽玄とは姿のやさばみたることではなく、「心の艶」なることであるといふ。 「心の艶」は「寒くやせたる」こととされる。」 心敬は「思い入る」「思いやる」といふ言葉をたびたびつかひ、心のやさしさをいっている。艶は外見のあでやかさではなく、心が寂びて…
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速報 キャラボク平のダケカンバ(令和元年7月21日)

 蔵王中央高原は近くにあって、静かな山行ができる。車道を横切ることがあるが、花はもちろん湖水群やブナ林も楽しめる。そして、ほとんど知られていないのがコタン散策路にあるキャラボク平だ。平成28年8月27日に一度歩いたが、その時のままで、全く人の気配はしなかった。どこがキャラボク平なのか、その場には何の標柱も探せなかったが、ドッコ沼脇の…
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セネカ『人生の短さについて』(過去に過ごした時は確かである)

岩波文庫「人生の短さについて」30頁 「人生は三つの時にわけられる。過去の時と、現在の時と、将来の時である。このうち、われわれが現在過ごしつつある時は短く、将来過ごすであろう時は不確かであるが、過去に過ごした時は確かである。なぜならば、過去は運命がすでにその特権を失っている時であり、またなんぴとの力でも呼び戻されない時だからである。こ…
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ペトラルカ『無知について』(魂も老い衰える)

岩波文庫「無知について」49頁 「人はみな老い衰えます。人間の幸福も名声も老い衰えます。要するに、人間のすべてが老い衰えます。そして以前には信じなかったことですが、最後に魂も老い衰えます。不死なるものとはいえ老い衰えます。」 人は死ぬ前に衰えがくる。死は恐れても、何時来るかは誰も予測できない。しかし、衰えは身にしみて自覚することがで…
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斎藤茂吉『念珠集』(病に平気になる)

談社文芸文庫「念珠集」139頁 「総じて結核性の病に罹ると神経が雋鋭になって来て、健康な人の目に見えないところも見えて来る。末期になると、病に平気になり、呑気になり、将来に向かっていろいろの計画などを立てるようになるが、依然として鋭い神経を持っている。。。子規ほど病床で苦しまなかっただけ、呑気ではなく、」 以前は結核は死に至る病であ…
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中谷宇吉郎随筆集(平凡な世界に不思議を感ずる)

岩波文庫「中谷宇吉郎随筆集」76頁 「不思議を解決するばかりが科学ではなく、平凡な世界の中に不思議を感ずることも科学の重要な要素であろう。」 疑問点を解決したくてすぐに人に聞くようではいけない。こんなことも私にはわからないのだと投げかけるくらいでいいとおもう。わからないことを何年もかかって考えつづけ、ふと解決できたときはうれしいもの…
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弥陀ヶ原の池塘(令和元年7月15日)

白装束の山伏姿の下山者の後ろ姿の向こうに弥陀ヶ原が見渡せた。その緑のあちこちは空を映す池塘群が輝いて見えた。栄井神社跡までの山行で疲労困憊した私は雪渓とお花畑の坂を何度も立ち止まってはこの大庭園がだんだんと近づくのを楽しんだ。 池塘では残念ながらオゼコウホネはその花は見えず葉だけが浮かんでいた。
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山本周五郎『正雪記』(生きることを考えろ)

新潮文庫「正雪記」下 327頁 「死ぬことに虚勢を張るな、壮烈であろうとなかろうと、死そのものにはなんの変わりもない、生きることを考えろ、」 武士たるものいつ死ぬかはわからない。死を恐れない心を武士は持っているだろう。身近かな死であるから、死に様を重要視したくなる武士の気持ちは理解できるが、犬死も壮烈な死も変わりがない。葉隠れ入門で…
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中島義道『人生を「半分」降りる』(だけど死にたくない)

ちくま文庫 「人生を「半分」降りる」286頁 「ある日「まったくひどい人生だったなあ、だけど死にたくないなあ!」と腹の底から呟いて死んでいく。これが、今後の人生設計です。」 死ぬ時に自分の人生を振り返って満足して死にたいとおもうのはかってだが、満足した人生なんてあり得ないでしょう。自己満足にすぎない。そう思えるのは幸せなあたまの持ち…
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ゾラ『居酒屋』 (やたらと物をやる)

新潮文庫「居酒屋」215頁 「というのも、彼女がやたらと物をやるようなばかなまねをしなければ、彼らだって悪習に染まらなかったろうし、いつまでも親切にしてくれたのだ。」 ジュルヴェーズが門番に食べ物を分け与えていたが、食べ残しを与えたことがきっかけでやめてしまうと、門番は逆に自分たちのものを盗みでもしたように思ってしまう。はっきりしな…
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6合目(平清水)から月山(令和元年7月15日)〈山行記録〉

 月山放牧場を過ぎて、県道211号線に合わさるところで、県道211号線は羽黒からは通行止めであることがわかった。7時前だが高原ラインは車がつながりがちだ。6合目のバス停に駐車した。道路を渡ってすぐに砂利道があった。そしてすぐに、大きな空き地があって、避難小屋が見えた。空き地の奥にもう一つ空き地があって、その先は行き止まりだった。最初の空…
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6合目(平清水)から月山(令和元年7月15日)〈栄井神社跡直下〉

 平清水避難小屋からの旧道は時々倒木はあるが、荒廃してしまった登山道という感じはしなかった。しかし、道に雪が残るあたりから藪っぽくなってきて、それからすぐに見晴らしのいいポイントに出た。その先はトラバース気味の道が5mくらいあって、もっと先は下に降るザレた斜面と、藪に隠れた沢筋だった。まず、その沢筋を漕いで、栄井神社跡のある平らな藪に出…
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速報 6合目(平清水)から月山(令和元年7月15日)

月山6合目には平清水避難小屋があって、山の渓谷の山の便利帳には非常時以外使用不可となっているが水場は飲水不可ながら利用できるようだ。それなら、浄水器を使えば飲水も可能となるのではと思った。月山山頂付近には営業小屋しかなくて、清川行人小屋が避難小屋としては利用しやすいだろう。今年の残雪の多さからすると清川行人小屋までは雪渓を歩くことになる…
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コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』(失った世界を再現)

早川書房「ザ・ロード」137頁 「彼が少年を愉しませるために自分が失った世界を再現するときには必ず喪失感を伝えてしまうのでありおそらく少年はそのことを自分よりもよく知っているのだ。」 自分が過去に経験したことを相手にも伝えたいと思うのは人情だろう。しかし、失われた世界は再現できないことは、相手のほうが感じるものだ。昔は自分はこんなに…
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三島由紀夫『葉隠入門』(酒宴は公界なり)

「大酒を飲んで失敗した人はかず多い。とりたてて残念なことである。まずは自分の酒量をよく知って、それ以上は飲まないようにしたいものだ。そうしていても、ときによっては酔いすごすことがある。酒の座ではいつも気をぬかずにいて、思いもかけぬ出来ごとが起こっても、じゅうぶん対処できるように考えるべきである。酒宴は、人の眼の多い晴れの場所なのだから、…
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坂口安吾『堕落論』(救いがないということ自体が救い)

新潮文庫 堕落論 35頁 「そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。」 救われたい、誰かが救ってくれるはず、との思いには救いはない。モラルとか救いとは現象学でいう一般定立を意味してい…
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アイヒュンドルフ『フリードリヒの遍歴』(すばらしい光の中で)

集英社 世界文学全集9 72頁 「過ぎ去ったあらゆる体験が、厳格さと品位を高めた形で、もう一度われわれのかたわらを通りすぎてゆく。そしてあふれんばかりの未来が、これら過去の形象のうえに朝やけのようにはなばなしくひろがり、こうして予感と追憶から新しい世界が生まれて、われわれは見おぼえのある土地や人物をふたたび眼前にするのであり、しかもそ…
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ブロッホ 『誘惑者』(人生の終わり)

筑摩書房 世界文学全集 56 488頁   「自分の人生は終わったなぞと言ってはいけませんよ、ミンナ、むしろ以前の状態がそのままつづいていたら、あなたの人生は終わりになっていたでしょうよ....でも人生はけっして終わりになりません。それはくりかえし新たに始まるのです」 不幸な出来ごとが起きてしまった時、どうやって慰めたらよいだろうか…
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岩波文庫『エセー(五)』第三巻、第九章 360頁より

「だが私は人と変わっている。死はどこにおいても、わたしには同じである。だが、もしもえらべるものなら、床の中よりも馬の上で、家の外で、家族の者たちから離れたところで死にたい。友人たちに別れを告げるのは、慰めよりも胸をかきむしられる思いがする。」 以前に家族について書いたことがあるが、まわりをみると、ひとりにしてあげたほうがいいとおもうこ…
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以東岳から大鳥池と佐渡を望む(令和元年7月5−6日)〈コースタイム〉

 コースタイムを公開することは慎重で、以前のこのブログでもその記事は消去したこともある。その訳は、人の歩いたコースを辿るようでは山行にならないと思ったからで、その考えは変わらない。しかし、山と高原地図が昭文社から出版されているわけで、その比較なら意味があるように思って記事にしてみることにした。よって、山と高原地図にないルートは公共の利益…
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以東岳から大鳥池と佐渡を望む(令和元年7月5−6日)〈山行記録〉

 早起きはあまりしたくなかったが、最近血圧の調子も良くなってきたこともあり、3時過ぎに目覚めた。泡滝には6時くらいに着いた。途中の道は護岸工事のため、一方通行となっている箇所があった。幸い対向車はこの時間にはなかった。  登山口から大鳥池までは足場が悪い箇所が以前より多かった。特に橋を2回渡ってからの九十九折りの登りではがけ崩れで歩き…
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以東岳から大鳥池と佐渡を望む(令和元年7月5−6日)〈水対策〉

 ザックの中身はざっと13kgを越えるくらいで、肩にこたえる。備えは十分にしても少しでも軽くしたい。それで、山行の度に中身を悩み続けたが、その話は前回したので繰り返さない。要はスタイルだ。一日の山行で持参する水量は暑さにもよるが、2.5Lくらい。ポカリスエットの粉末を入れて凍られておく。あとは水場次第だ。  出発前日に管理人さんに電話…
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速報 以東岳から大鳥池と佐渡を望む(令和元年7月5−6日)

 速報で書くのはご無沙汰であった。ブログの経営者の方針で、僕のHITOIKIブログも様変わりしてしまった。迂闊だったが、記事のランキングのデータをバックアップしていなかった。これからは記事がどれだけ読まれたかの集積は得られなくなった。それで、記事の賞味期限はある意味その日限りとしか僕としてはそう思って書くしかないようだ。それで、速報を復…
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霧に咲く駒草(令和元年6月29日)

 今月9日以来の山歩き。ちょうど20日ぶりとなる。昨晩は前職の同窓会らしきのに出席して、早めに帰ったもののやや二日酔い気味か。明日は一日雨予想で、今日を逃すと丸々1ヶ月山抜きだ。それで、2年ぶりに駒草を見に来てみた。エコーラインの高度が増すとすっかり雲の中に入ってしまった。峠を越すとそのガスも薄くなって、大黒天の広い駐車スペースにはもう…
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水芭蕉咲く月山(令和元年6月9日)

 志津キャンプ場と道路を隔てた大きめの駐車場に車を停めた。僕以外には車も人影もない。道路を登ってくる車はわずかにキャンプ場に向かう他はそのまま上を目指している。僕は志津温泉脇の五色沼に下る。今日は山頂は目指さないから、ピンクテープのある方に釣られたりと、歩き始めから道草する。沼の脇を歩いて工事現場跡のような空き地を過ぎると登山口だ。一歩…
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岩観音裏から上山葉山(令和元年6月2日)

 以前に書いた記録の時期より半月も経ってしまって、お目当の躑躅に会えるか、でもたかをくくって歩き始めた。なるべく藪を避けたいと岩観音の裏までは昨日の帰路をなぞって登るが、それからは破線の登山道でもない尾根伝いならばしれたものだ。まずは目指す南に聳えているはずの上山葉山を地形図で確認して、方位磁石の針の指す藪を漕ぐ。森は思ったより深く、地…
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岩観音のある沢を登る(令和元年6月1日)

 もうすぐ梅雨だろうか。6月に入り、暑さが増す予感。歩き始めたのは午後4時30分を回っていた。コンクリートの坂道を登ると、ハウスの中でサクランボの剪定のために梯子に登っている男性に会った。挨拶をして進むと岩観音の道標が見えた。その先は高いスギ林だった。日が遮られやっと涼しくなった。道は綺麗と言えるくらいに刈られていて、虫の気配もない。程…
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聖仏平の山毛欅の森を歩く(令和元年5月26日)

 数年前から山域を繰り返して歩くようにしている。例えば、2年前の武甲山のある埼玉県奥武蔵山域や去年の長井葉山、それから厳冬期の蔵王から番城山の稜線など。反復することで僅かな季節の移ろいが実感できて楽しい。今回は村山葉山山域を再訪した。山歩きの楽しみに森をあてどなく彷徨うことがあるが、登山道ではそれも限られてしまう。雪のある季節では、夏道…
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雪原と新緑の村山葉山(令和元年5月18日)

  寒河江市、畑の葉山市民荘から車道を隔てた駐車場に車を停めた。もう数台が駐車してあった。靴を履いたりの準備中から虫がうるさい。団扇を腰に差して歩き始めた。林道を歩くが日差しはもう厳しかった。それでも登山口からすぐに残雪が道を隠し出した。ブル道を渡って、折れかかった枝にあるピンクテープを見つけて夏道を登る。道は荒れていて適当に高度を上げ…
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瀧山バス遠足(令和元年5月11日)

 自宅を出て、電線の向こうにこれから登る瀧山が見える。山頂近くの山肌には雪がそぼろに残っているのが目を凝らすとわかるが、麓に降りるにつれて碧く丸みを帯びていた。コンビニで日焼け止めを買ってさっそくサングラスを外して顔一面につけた。神尾古道を歩くと日差しがななめに差し込んで杉林を浮き立たせた。出発から1時間ばかしたって、古道途中で1回目の…
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面白山から輝く鳥海山を望む(令和元年5月4日)

 面白山高原駅から歩くと、雪解け水をいっぱい湛えた沢の音が聞こえて来た。流れはしぶきとなって下るが、思ったより深くはなくて、渡渉する足も濡れなかった。梢の先々には緑が増して来て、何度もカメラを向けた。それも、雪渓が残るくらいに上流となると、小枝の先が少し膨らみかけたくらいで芽吹きにはもう少しのようだった。  長左衛門平を少しだけ左に進…
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萱平から御田の神避難小屋(平成31年4月28日)

 件の場所に車を置く。靴を履くと寒さを感じる。冷え込んだようだ。林道を歩くと1台また1台と車が停まっていた。山菜採りにはまだ早いを思うが、登山者だろうか。結局、出会ったのはエコーラインを走る車中の顔だけだった。沢を右手に見上げる箇所から、林道をショートカットする。最後の林道を横切って急勾配の尾根に取り付いた。空に伸びた唐松林を抜け、しば…
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猿岡山から戸神山(平成31年4月21日)

 猿岡山は2年ぶりだった。里山は積雪期限定と決めていたが、いつもの二ツ森山へは先週にお会いした方のパーティの車で駐車地点はいっぱいのようで遠慮した。平泉寺前の駐車場に車を停める。しだれ桜が見頃を迎えている。林道を歩くと、山桜も咲き出していた。ソメイヨシノの単調な色合いは画一的で、自分もその色に染められそうだが、微妙に異なる山桜の濃いめの…
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山域ごとに山行を反省する〈瀧山〉

山域ごとの山行をコースと時期について反省し、その山域を良さを考えてみたい。 瀧山について歩いた順に並べてみる。 〈瀧山〉 ・夏休みの植物観察(平成20年8月8日) (瀧山) ・晩秋の瀧山(平成20年11月15日) ・大山桜(平成21年5月6日)(瀧山) ・瀧山前滝(平成21年6月14日) ・8月のひとり遠足(平成21年…
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のんびり二ッ森山周回(平成31年4月13日)

 里には桜の便りが届いた。いつもの萱平の駐車地点で準備をしていると、一台車が横付けされた。来週の番城山登山の下見のために来られたそうだ。先月の道の状態の話をさせていただいて別れた。林道を歩いてすぐの橋を渡ってすぐの沢沿いの尾根に取り付いた。  山道跡が雪に隠れて脇は少しぬかった。それでも残雪はわずかになっていて、藪はうるさく、ピッケル…
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萱平から痩せ尾根をゆく(平成30年3月31日)

 里は皐月を惜しむ雪に見舞われて、いつもの萱平の駐車地点に向かうハンドルを握る手に力が入る。このまま降り続いたら、除雪車が必要になるかもと、季節外れの心配をしてしまう。早めに切り上げてと歩く前から心はせいてしまう。橋を渡り、堰のある川を渡ってしばらく林道を歩いて、沢の左の尾根に取り付く。一度林道に出て、看板のある箇所から急登が始まる。ス…
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平成25年の山行を反省する

平成25年の山行を振り返り、やり残したことを拾ってみたい。 1月から順に山行を並べてみる。 ・新春をハマグリ山で(平成25年1月6日) ・厳冬の面白山(平成25年1月12日) ・戸神山(平成25年1月20日) ・瀧山大滝氷瀑(平成25年2月9日) ・二ッ森山に続く森の中で(平成25年1月26日) ・山形市愛宕山の雪渓を…
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