カント「純粋理性批判」を読んで ( ver.7 )〈生起するものはことごとく自らの原因をもつ〉

〔第一版〕序言 〈偶然的な諸考察〉 「理性は、理性自身が自らの構想に従って産出するものだけを洞察するのであり、理性は不変の法則に従う自らの判断の諸原理をもって先導し、自然を自らの問いに答えるように強制しなければならないが、ただ自然からのみいわば習歩紐によって歩まされてはならないのである。というのは、そうでなければ、あらかじめ構想され…

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雪解けの古竜湖(令和3年3月7日)

 自宅を出て、飯田館を右手に見ると、蔵王権現の石碑の背中は早春の青空を後ろに従えて、そのシルエットも眩しいくらいだ。林道終点までは雪はなくて、ここからは、忘れ去られたような細道となる。それも、残雪に隠れて展望は藪に阻まれる。ワカンを履いて、倒木を越えると、また林道に躍り出た。ここでワカンを脱いで、広い林道を歩くが、10メートルくらいで行…

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ベルクソン「物質と記憶」を読む ( ver.36 )〈延長が空間に先立つと想定してみよう〉

第一章 表象に向けてのイマージュの選択について — 身体の役割  現実的作用と可能的作用 〈行動することへの勧告〉 「私の多様な感情を検討してみると、個々の感情はそれぞれの仕方で、行動することへの勧告を含んでいるが、同時にその勧告は、待機してもよいと許可や、更には何もしなくてもよいという許可を伴っているように私には思われる。8−9…

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北面白山での再会(令和3年2月28日)

 もう一年以上、単独山行が続く。最後の複数登山はうるしさんとの堂木沢山だった。もう一昨年のことだ。北面白山山頂に着いて、早春の展望を楽しんでいると、偶然にも、数メートル離れた所に、うるしさんの緑のジャケットを見つけた。直ぐに声を掛けて再会を喜び合った。コロナ禍で山に誘うのをためらっていたので、嬉しさもひとしおだった。それからは、地元の方…

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パナソニック・メロディアス・ライブラリー H.A.レイ 『ひとまねこざるときいろいぼうし』

 遅く起きた日曜日の楽しみの番組だ。先週はトルーマン・カポーティの「冷血」の後半だった。新潮文庫を手に取ると、細かい活字がビッシリとあって、まだ、ページを捲るまでにはいたらない。幸い、今日は絵本の紹介だ。小川洋子さんの紹介を聞くと、ジョージ(ひとまねこざる)の笑顔が目に浮かぶ。さっそく、屋根裏部屋にヘッデンを付けて探したが見つからないで…

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つぶやき アーカイブ「反復」

〈美しい表層におどり出る〉  流行に背を向けて、個性的に生きてみても、どこかで他人の目を気にしている。それは世の中が模倣の法則で動いているからだ。 「自然は、法則や反復、数百年ごとの周期という荘厳な装置をつうじて、多種多様な変異、絵画のようなめくるめく幻想、気まぐれな刺繍を展開する。しかし、それらはただひとつの源泉から生まれたも…

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山形神室から遠く飯豊を望む(令和3年2月13日)

 山形神室はこの時期の定番だ。天気のいい日に一度は登りたい。先月にはカケスガ峰から前山まで登ったが、今日のルートの方が好きだ。雪庇の陰影がお気に入りだ。特に今日は人でも多く、人物入りの写真が撮れた。びっくりしたのは、山形神室の向こうまでトレランしている山ガール2人だ。簡易アイゼンでほとんど休むことなく走っていた。若いって素晴らしい。それ…

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トーマス・マン 魔の山 ー恐ろしい鈍感ー

 「ひとり残されたハンス・カントルプはトランプを並べるのをやめて、頬杖をついたまま、なおしばらくの間、白い部屋の真ん中のテーブルにじっと考えこみながら座っていた。彼はこの世界全体が陥っている不気味な歪んだ状態を思った。そしてこの世界を手のつけようのない放縦無残な支配下に組み敷いている、あの「恐ろしい鈍感」と呼ばれる悪魔と妖怪がにやりとほ…

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飯田館跡の方(令和3年2月7日)

 飯田館は城主の居住跡のようである。しばらく前の散歩の帰りに標柱を見つけ、気になっていた。寒椿が咲き出す、寒い、午後から歩き出す。すぐに雨が降り出して傘をさした。ザックには餅と炭などを詰め込んでお汁粉に煎茶の準備。これは、一先ずの目的で、何かワクワクする事を描きたいからだ。成沢城を目指すが、途中に、飯田館跡の標柱のことを思い出し、寄り道…

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ベルクソン「時間と自由」を読む ( ver.20 )〈絶対時間と絶対空間〉

第一章 心理的諸状態の強さについて  内包量と外延量  深い感情 〈ぎくしゃくした動き〉 「ぎくしゃくした動きが優美さに欠けるのは、各々の動きが自己完結していて、それに続くはずの動きを告げていないからである。24頁」  優美さの感情の強度は、予見できるかにある。リズムがあると、次にどういう動作となるか、予見可能となろう。同じ反…

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氷瀑から姥地蔵(令和3年1月31日)

瀧山登山口の西蔵王放牧場は車で溢れ返っていた。長靴にスノーシューを履いていると、下山者に声をかけられた。山頂も賑わっていたようだ。氷瀑まではしっかりとしたトレースがあった。堰を越えた所で、下山のお二人にお会いした。程なく、氷瀑の方から賑やかな声がした。神秘的な色をした氷瀑を眺めて戻ろうとすると、姥神コースからのトレースがあった。軽い沢を…

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前山から蔵王山を望む(令和3年1月23日)

 カケスガ峰から前山を目指して最後の登りも、先行者のおかげで、締まった雪面は歩き易く、スノーシューならずとも、快適なハイキング。前山から蟻ノ戸渡り、さらに雁戸山までの稜線には、まさしく蟻のような影が間隔をおいて見えた。私は、ここまでと決めていたので、ザックを脇において眺望を満喫する。薄雲を従えた蔵王山が間近に迫ってくる。ここは、夏道がな…

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つぶやき アーカイブ「意志」

〈導かれること〉 「人間というものは、自分は導かれているのではなくて自分の意向・自分の自由決定に従って生きているのであると思いうるようなふうに導かれなくてはならない(スピノザ 国家論 岩波文庫 183頁)」  自由意志はないと教えるスピノザではあるが、人を導くには自分の自由決定に従っているのだと思い込ませなければならないと言う。…

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成沢城跡で一人煎茶会(令和3年1月16日)

 山頂での珈琲タイムはいいものだが、日本茶も頂いてみたい。そこで、まずは、正月に登った成沢城跡で、固形燃料用のエスビットのポケットストーブで湯を沸かして、Boundless Voyageのチタン製の急須で煎茶を入れた。この急須には茶こしと極小の湯呑みがセットになっていて、ちょっとした茶会気分が味わえた。珈琲よりは、身体が温まったようだ。…

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ニーチェ「ツァラトゥストラ」を読んで ( ver. 66 )〈短刀の幸福〉

第一部 ツァラトゥストラの序説 〈ワシとヘビ〉 「一羽のワシが広大な円また円を描いて空中を飛んでいた。そしてこのワシに、獲物のようにではなくて、女友だちのように、一匹のヘビがぶらさがっていた。というのは、ヘビはワシのくびに巻きついていたからである。43頁」  誇り高い動物と賢い動物はツァラトゥストラがまだ生きているかを探りに来た…

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ハマグリ山までスノーシューハイク(令和3年1月11日)

 三連休の三日目、なんとか、雪模様も回復して、日も差してきた。諦めていた山行に重い腰を上げる。晴れれば、笹谷、悪ければ、西蔵王と前から決めていた。それが、よかった。登山口の関沢には片側一杯に車が停まっていた。今日は、久しぶりにスノーシューを履いての山行だ。わずかに青空も見えて、気力も少し出てきた。途中で、コールがあって、手袋をとるが、ま…

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街路樹の列

 殆どの酒を飲まなくなって一年くらいとなる。体調の変化に気づいたからだが、最近は、それ程、身体の方も酒を欲しがらなくなった。寂し気もするが、その内に、また飲みたくなるだろう。それでいい。そんな訳で、正月気分もほぼほぼで、全く枯れてしまったようだ。それは、それで、枯れた味わいが出ればと高を括る。  正月3日も暮れようとする頃、やっと外に…

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耕源寺の裏山(P339)(令和3年1月2日)

 しばらく前の記憶だが、耕源寺の裏山には多くの石仏があったようだ。あの時は稜線でカモシカを見かけたが、晩秋だったようだ。去年の押し迫った頃に散歩がてらにこの里山に登ったが、石仏はおろか、踏み跡さえなくて、長靴を汚すくらいの急斜面を下った。その時に、墓場の脇に細道を見つけた。今日は、山に用の無いものの侵入を禁ず、の立て札を見つめて、安心し…

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つぶやき アーカイブ「党派性」

〈あなたの右の頬を打つ者には、もう片側の頬も向けてやりなさい〉 「・・・甘んじて不正を受けよ、不道徳な者たちが何をしても許してやれというこのキリストやエミリヤの教えは、正義が軽んじられている圧政の時期に限って通用する者であり、よい国においては通用しない(スピノザ 神学・政治論(上)光文社 318頁)。」  ドゥルーズ がスピ…

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元日の成沢城跡(令和3年1月1日)

 大晦日は第九を聴いて、元旦は四季。ここまではいつも通り。さて、やっと、お年玉から解放されると思っていたら、30数年前の新婚当時にまでワープ、そんなわけないか。しかし、静かな正月だ。雑煮を頂けば、あとは、普通の休日を反復するだけ。哲学書を読んで、ブログに軽くまとめる。それを数回繰り返し、昼食兼用の散歩に出かける。だが、今日は寒い。ゆっく…

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尻沼と大晦日(令和2年12月31日)

 目指すは西蔵王だが、自宅を出て、右の方か、左の方かも決めてない。それで、ふらっと、南に向かって、横断歩道を渡った。それから、ジョギングした住宅街の坂を登ると、日が差してきた。それにつられてか、住宅裏の急な階段を登ると、車道に躍り出た。除雪車が仕事を終えて、ゆっくりと前を行く。それから、車道は駐車場で行き止まり。そこからは、山行に移行。…

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散歩から山行へ(令和2年12月27日)

 その日も一眼レフを肩に下げて自宅から歩き出した。馴染みの散歩コースだ。悠創の丘から神尾古道を登る。靴が半分くらい隠れるくらいの積雪だ。ここらで散歩から山行にワープする。そう、勝手に思っている。気分次第で、脇道に逸れて、藪を漕いだり、新雪にトレースを付けたりして楽しむ。気持ちは散歩も山行も同じだ。最近に新しくなったつり橋を見上げて、雪原…

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千歳山で新雪を楽しむ(令和2年12月20日)

 今年も残すところ、10日余りになった。例年にない大雪の中、千歳山にちょこっと登った。長靴に、ペットボトルをポケットに入れて。平泉寺のお堂の奥の登り口には踏み跡はなかった。長靴に雪が入る程の積雪ではないが、新雪の感触を楽しんだ。松枯れの状態は1年前と同じくらいのように思えた。帰路では数人にあった。駆け下りる人たちもいて、新雪をみんな楽し…

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里の初雪(令和2年12月13日)

 休日の遅い朝、庭には初雪が降りだした。登山の予定も無く、台所で、昨日買ったスノーピークのアルミパーソナルクッカーセット [重量485g](SCS-020)でつや姫を炊く。お焦げの香ばしい匂いがしてきたところで、火をとめて15分くらい蒸らした。それから、ふじっ子を適当に入れて、小シャモジで掻き混ぜ、塩加減を味見した。クッカーの蓋に適量を…

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地蔵山で冬を迎える(令和2年12月6日)

 上ノ台ゲレンデから七曲がり登山道に入ると、雪道になった。歩きにくくはなかったが、ズボンが濡れて、雨具を履いた。ドッコ沼は静かで、踏み跡が少しだけ残っていた。サンゴロウはゲレンデオープン前のためか、暗かった。ここから片貝沼を目指し、ゲレンデを登るが行き止まりで、少し下った。片貝沼に着いて、パラダイスゲレンデから地蔵山頂駅までほぼ夏道ルー…

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師走の午後休み(令和2年12月4日)

 目まぐるしい一年も師走を迎えた。慣れてもいない仕事に、誰も経験したことない恐れの中でもなんとか活路を見出そうと右往左往したが、気がつくと年の瀬、ここは少しリフレッシュしようと午後から年休を取る。週末は何もなければ休んでいるわけだが、人が働いている時間に休むからリフレッシュ出来るのだと、言い聞かせて、珈琲の準備を背負って、丘に向かう。 …

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11月のある日

レオ・ブローウェルの「11月のある日」を久しぶりに聴いた。やはり、この晩秋の時期に聴きたい曲だ。 庭の皐月がどういうわけか11月になってからまた咲き出した。よく見ると、花を付けた枝には、その花を支えるように緑が残っていた。 今日は、短い一生を終えた愛犬を弔うために、一日を捧げよう。 ギターの響きとストーブの上のやかんの音が寄り添っ…

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晩秋の雁戸山を笹雁新道から(令和2年11月22日)

 此の所、週末は好天に恵まれて、冬期シーズンを前に、晩秋の奥羽山脈の脊梁を楽しむ。今日は雁戸山。凍結を恐れ、距離は比較的長いが、足場がしっかりしている笹雁新道から登った。車は国道から林道に入ってすぐのスペースに駐車した。5台くらいは置けそうだ。そこから歩き出して、30分足らずで林道終点。さらに40分くらいで堰を越えての涸れ沢に着く。雪は…

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リチャード・フラナガン 「奥のほそ道」 (決してあきらめない )

「自分が父親にふさわしくないと自覚していてもあきらめなかったのは、何ごとに対しても最後まであきらめなかったからだ。決してあきらめないというそのこと自体が、自分自身が抱く個人的な恐怖に対する降伏なのだろうかと思うことがあった(リチャード・フラナガン 奥のほそ道 白水社 397頁)。」  恐怖感を持って生きている間は、それに降伏しないよう…

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快晴の観音寺コース(令和2年11月15日)

 御所山には何度か登っているが、山頂では、いつもガスで、なんとか展望を楽しみたい。日本海と太平洋を一望。凍った雪をアイゼンで確実に踏みしめて、急な斜面を登り終え、山頂に立つと、まず、太平洋は何とかわかった。日本海は鳥海山の左手に見えるはずだが、あまりの展望の良さに確認は忘れてしまった。今、写真を見ると、うっすらと日本海も見えるようだ。何…

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