カント「純粋理性批判」を読んで ( ver.62 )〈ループを上から見下ろす視点〉

〔第一版〕序言  〔第二版〕序言 〈偶然的な諸考察〉 「理性は、理性自身が自らの構想に従って産出するものだけを洞察するのであり、理性は不変の法則に従う自らの判断の諸原理をもって先導し、自然を自らの問いに答えるように強制しなければならないが、ただ自然からのみいわば習歩紐によって歩まされてはならないのである。というのは、そうでなければ…

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山毛欅芽吹く長井葉山(令和3年5月1日)

 勧進代コースの下りの道で芽吹き出した山毛欅林を見ながら、パスタを茹でていると、夥しいブユが美味しそうな匂いに誘われてか寄って来た。そのパスタの湯気がかかる僕のおでこに奴が停まって、こちらは落ち着いて食べて居られない。暗い気分になって、僕の登山人生も曲がり角かと沈む。それは、オケサ堀コースの九十九折の山毛欅の道を過ぎたまでは良かったが、…

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羽竜沼から同志平、そして瀧山(令和3年4月24日)

 計画通りの山行だったが、以前に歩いた時の記憶とは大きく違っていた。それは過ぎ去った月日のせいに過ぎないのだが、自分の記憶が錆びついただけでもなかろう。古の道はここでも朽ちて行く。まずは歩いたコースを紹介しよう。西蔵王放牧場〜鴻ノ巣沼〜羽竜沼〜長峰コース〜竜山林道〜県道21号〜鴫の谷地沼〜竜山ゲレンデ〜瀧山〜西蔵王放牧場。ついでに歩行距…

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成沢林道を下る(令和3年4月18日)

 強いて言えば、お目当ては、西蔵王山村広場脇の桜。まあ、目的のない、山歩きだから、取り立てて言う程でもない。自宅から歩いても良かったが、午後から雨が降る予想で、貴重な晴れ間を逃さずに車で向かう。キャンプ場近くの駐車場はロープが張ってあった。それで、神尾地区を抜けて、成沢林道の終点に駐車する。さあ、林道を下ろう。落ち葉が厚く折り重なった林…

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戸神山の壁(令和3年4月11日)

戸神山の等高線が一番詰まっているのは西尾根と南西尾根であろう。以前に西尾根から直登したが、今回は南尾根を登るはずが、南西尾根を直登することになってしまった。あたご荘の裏は土砂崩れの対策として、高い柵が造られていて、登山口がわかりにくい。工事現場の作業小屋の裏に枯れ枝に赤布が見えて、ここが登山口と思い込んでしまった。こうも登山道は荒廃した…

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伊藤亜沙 編『「利他」とは何か』  ー耳を傾け、そして拾うことー

「他者の潜在的な可能性に耳を傾けることである、という意味で、利他の本質は他者をケアすることではないか、と私は考えています。・・・むしろ、「こちらには見えない部分がこの人にはあるんだ」という距離と敬意を持って他者を気づかうこと、という意味のケアです。耳を傾け、そして拾うことです。伊藤亜沙 編『「利他」とは何か』 集英社新書 55頁 」 …

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上山葉山の桜(令和3年4月3日)

 上山に向かうと煙が上げっていて、訝っていると、炎が見えた。程なくサイレンが聞こえた。ゴルフガーデン脇には登山者用の駐車場があって、15台くらいは駐車できそうだった。私が一番乗りで、林道を歩き始める。沿道には桜が咲きはじめていた。途中、山肌はシャベルカーが削って、禿山になって、葉山までの古道は跡形も無くなってしまった。クワの道から葉山山…

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西蔵王の杉林と三本木沼(令和3年3月27日)

 古竜湖と三本木沼の中間くらいにある道を下ると九十九折になって、最終的には行き止まりになる。途中で引き返して、電柱沿いに林を下ると成沢林道に出る。その行き止まりとなる道は周囲が松並み木になっていて、時々は歩いた。今回はその松林から、三本木沼を目指した。途中には静かな杉林があって、ここは今月の7日にも歩いたが、それ程手入れが行き届いている…

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雨降り三吉山(令和3年3月21日)

 前日の天気は続かなくて、三吉山登山口に向かう頃から小雨が降り出した。春雨は歩き出すとやんで、汗が吹き出した。水場近くで冬用のジャンパーを脱いで、後からの二人に先を譲った。ガレ場では涼しい風が吹いて来て、気持ちが良い。山頂でパスタを茹ででいるとパラパラと雨が降り出した。ジャンパーを着て山並みを眺めながらのタラコスパゲティは格別だった。一…

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満作と霧氷の瀧山(令和3年3月14日)

 この週末は天気が悪く、そんな時は瀧山に登る。放牧場の車道はアスファルトが顔を出して、スノーモービルツアーも終わったようだ。鳥のさえずりが春の訪れを告げている。うがい場から山道となるが、土の感触が柔らかだ。放牧場の柵の向こうには満作の花が咲いていた。しばらくは、雪解けの進んだ緩い傾斜の道を進むが、ワカンを履くことにした。姥神手前の梯子も…

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國分功一郎 『原子力時代における哲学』 ー待つことと期待することの違いー

「「待つこと warten」と「期待すること erwarten」の違いはよく分かる気がします。「期待」は自分の方向性が決まってしまっています。その意味では主体的、能動的と言ってもいい。「待つ」はそれとは異なります。教師(賢者)はそのことを「待つとは、開けそのものへの自らを放ち入れることだからです」と説明しています。待っている時、我々は、…

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雪解けの古竜湖(令和3年3月7日)

 自宅を出て、飯田館を右手に見ると、蔵王権現の石碑の背中は早春の青空を後ろに従えて、そのシルエットも眩しいくらいだ。林道終点までは雪はなくて、ここからは、忘れ去られたような細道となる。それも、残雪に隠れて展望は藪に阻まれる。ワカンを履いて、倒木を越えると、また林道に躍り出た。ここでワカンを脱いで、広い林道を歩くが、10メートルくらいで行…

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ベルクソン「物質と記憶」を読む ( ver.36 )〈延長が空間に先立つと想定してみよう〉

第一章 表象に向けてのイマージュの選択について — 身体の役割  現実的作用と可能的作用 〈行動することへの勧告〉 「私の多様な感情を検討してみると、個々の感情はそれぞれの仕方で、行動することへの勧告を含んでいるが、同時にその勧告は、待機してもよいと許可や、更には何もしなくてもよいという許可を伴っているように私には思われる。8−9…

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北面白山での再会(令和3年2月28日)

 もう一年以上、単独山行が続く。最後の複数登山はうるしさんとの堂木沢山だった。もう一昨年のことだ。北面白山山頂に着いて、早春の展望を楽しんでいると、偶然にも、数メートル離れた所に、うるしさんの緑のジャケットを見つけた。直ぐに声を掛けて再会を喜び合った。コロナ禍で山に誘うのをためらっていたので、嬉しさもひとしおだった。それからは、地元の方…

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パナソニック・メロディアス・ライブラリー H.A.レイ 『ひとまねこざるときいろいぼうし』

 遅く起きた日曜日の楽しみの番組だ。先週はトルーマン・カポーティの「冷血」の後半だった。新潮文庫を手に取ると、細かい活字がビッシリとあって、まだ、ページを捲るまでにはいたらない。幸い、今日は絵本の紹介だ。小川洋子さんの紹介を聞くと、ジョージ(ひとまねこざる)の笑顔が目に浮かぶ。さっそく、屋根裏部屋にヘッデンを付けて探したが見つからないで…

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つぶやき アーカイブ「反復」

〈美しい表層におどり出る〉  流行に背を向けて、個性的に生きてみても、どこかで他人の目を気にしている。それは世の中が模倣の法則で動いているからだ。 「自然は、法則や反復、数百年ごとの周期という荘厳な装置をつうじて、多種多様な変異、絵画のようなめくるめく幻想、気まぐれな刺繍を展開する。しかし、それらはただひとつの源泉から生まれたも…

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山形神室から遠く飯豊を望む(令和3年2月13日)

 山形神室はこの時期の定番だ。天気のいい日に一度は登りたい。先月にはカケスガ峰から前山まで登ったが、今日のルートの方が好きだ。雪庇の陰影がお気に入りだ。特に今日は人でも多く、人物入りの写真が撮れた。びっくりしたのは、山形神室の向こうまでトレランしている山ガール2人だ。簡易アイゼンでほとんど休むことなく走っていた。若いって素晴らしい。それ…

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トーマス・マン 魔の山 ー恐ろしい鈍感ー

 「ひとり残されたハンス・カントルプはトランプを並べるのをやめて、頬杖をついたまま、なおしばらくの間、白い部屋の真ん中のテーブルにじっと考えこみながら座っていた。彼はこの世界全体が陥っている不気味な歪んだ状態を思った。そしてこの世界を手のつけようのない放縦無残な支配下に組み敷いている、あの「恐ろしい鈍感」と呼ばれる悪魔と妖怪がにやりとほ…

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飯田館跡の方(令和3年2月7日)

 飯田館は城主の居住跡のようである。しばらく前の散歩の帰りに標柱を見つけ、気になっていた。寒椿が咲き出す、寒い、午後から歩き出す。すぐに雨が降り出して傘をさした。ザックには餅と炭などを詰め込んでお汁粉に煎茶の準備。これは、一先ずの目的で、何かワクワクする事を描きたいからだ。成沢城を目指すが、途中に、飯田館跡の標柱のことを思い出し、寄り道…

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ベルクソン「時間と自由」を読む ( ver.20 )〈絶対時間と絶対空間〉

第一章 心理的諸状態の強さについて  内包量と外延量  深い感情 〈ぎくしゃくした動き〉 「ぎくしゃくした動きが優美さに欠けるのは、各々の動きが自己完結していて、それに続くはずの動きを告げていないからである。24頁」  優美さの感情の強度は、予見できるかにある。リズムがあると、次にどういう動作となるか、予見可能となろう。同じ反…

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氷瀑から姥地蔵(令和3年1月31日)

瀧山登山口の西蔵王放牧場は車で溢れ返っていた。長靴にスノーシューを履いていると、下山者に声をかけられた。山頂も賑わっていたようだ。氷瀑まではしっかりとしたトレースがあった。堰を越えた所で、下山のお二人にお会いした。程なく、氷瀑の方から賑やかな声がした。神秘的な色をした氷瀑を眺めて戻ろうとすると、姥神コースからのトレースがあった。軽い沢を…

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前山から蔵王山を望む(令和3年1月23日)

 カケスガ峰から前山を目指して最後の登りも、先行者のおかげで、締まった雪面は歩き易く、スノーシューならずとも、快適なハイキング。前山から蟻ノ戸渡り、さらに雁戸山までの稜線には、まさしく蟻のような影が間隔をおいて見えた。私は、ここまでと決めていたので、ザックを脇において眺望を満喫する。薄雲を従えた蔵王山が間近に迫ってくる。ここは、夏道がな…

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つぶやき アーカイブ「意志」

〈導かれること〉 「人間というものは、自分は導かれているのではなくて自分の意向・自分の自由決定に従って生きているのであると思いうるようなふうに導かれなくてはならない(スピノザ 国家論 岩波文庫 183頁)」  自由意志はないと教えるスピノザではあるが、人を導くには自分の自由決定に従っているのだと思い込ませなければならないと言う。…

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成沢城跡で一人煎茶会(令和3年1月16日)

 山頂での珈琲タイムはいいものだが、日本茶も頂いてみたい。そこで、まずは、正月に登った成沢城跡で、固形燃料用のエスビットのポケットストーブで湯を沸かして、Boundless Voyageのチタン製の急須で煎茶を入れた。この急須には茶こしと極小の湯呑みがセットになっていて、ちょっとした茶会気分が味わえた。珈琲よりは、身体が温まったようだ。…

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ニーチェ「ツァラトゥストラ」を読んで ( ver. 66 )〈短刀の幸福〉

第一部 ツァラトゥストラの序説 〈ワシとヘビ〉 「一羽のワシが広大な円また円を描いて空中を飛んでいた。そしてこのワシに、獲物のようにではなくて、女友だちのように、一匹のヘビがぶらさがっていた。というのは、ヘビはワシのくびに巻きついていたからである。43頁」  誇り高い動物と賢い動物はツァラトゥストラがまだ生きているかを探りに来た…

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ハマグリ山までスノーシューハイク(令和3年1月11日)

 三連休の三日目、なんとか、雪模様も回復して、日も差してきた。諦めていた山行に重い腰を上げる。晴れれば、笹谷、悪ければ、西蔵王と前から決めていた。それが、よかった。登山口の関沢には片側一杯に車が停まっていた。今日は、久しぶりにスノーシューを履いての山行だ。わずかに青空も見えて、気力も少し出てきた。途中で、コールがあって、手袋をとるが、ま…

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街路樹の列

 殆どの酒を飲まなくなって一年くらいとなる。体調の変化に気づいたからだが、最近は、それ程、身体の方も酒を欲しがらなくなった。寂し気もするが、その内に、また飲みたくなるだろう。それでいい。そんな訳で、正月気分もほぼほぼで、全く枯れてしまったようだ。それは、それで、枯れた味わいが出ればと高を括る。  正月3日も暮れようとする頃、やっと外に…

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耕源寺の裏山(P339)(令和3年1月2日)

 しばらく前の記憶だが、耕源寺の裏山には多くの石仏があったようだ。あの時は稜線でカモシカを見かけたが、晩秋だったようだ。去年の押し迫った頃に散歩がてらにこの里山に登ったが、石仏はおろか、踏み跡さえなくて、長靴を汚すくらいの急斜面を下った。その時に、墓場の脇に細道を見つけた。今日は、山に用の無いものの侵入を禁ず、の立て札を見つめて、安心し…

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つぶやき アーカイブ「党派性」

〈あなたの右の頬を打つ者には、もう片側の頬も向けてやりなさい〉 「・・・甘んじて不正を受けよ、不道徳な者たちが何をしても許してやれというこのキリストやエミリヤの教えは、正義が軽んじられている圧政の時期に限って通用する者であり、よい国においては通用しない(スピノザ 神学・政治論(上)光文社 318頁)。」  ドゥルーズ がスピ…

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元日の成沢城跡(令和3年1月1日)

 大晦日は第九を聴いて、元旦は四季。ここまではいつも通り。さて、やっと、お年玉から解放されると思っていたら、30数年前の新婚当時にまでワープ、そんなわけないか。しかし、静かな正月だ。雑煮を頂けば、あとは、普通の休日を反復するだけ。哲学書を読んで、ブログに軽くまとめる。それを数回繰り返し、昼食兼用の散歩に出かける。だが、今日は寒い。ゆっく…

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